当山の住職である私、慈孝は、真言宗 密教のお寺の「牛久成田山真浄寺」に僧籍がある
真言密教行者の僧侶です。
ご縁があって僧侶となった後も一般社会で働きつづけ、現在は経営者の立場で社会経験を積み続ける「僧籍社長」です。
ここでは、オンライン縁切り寺の開山にちなんで、私の縁切りの思い出を軸に半生のご紹介をしたいと思います。
私の生まれはお寺さんではなく、親戚縁者にもお寺はありませんので、一般の家庭の出身という事になりますが、うちの家庭は一般より些か貧乏をしていました。
実父の仕事が安定せず、中学校に上がるまでに7度の引越しをして、風呂なしアパートばかりを転々としておりました。
そんな実父とは私が中学生になった頃に酒乱やDVが原因で母との離婚が成立し、私は母につきまして、その後、母の婚姻相手の養子となりました。
ここで実父との縁が切れた訳で、私の運勢もここで変った様に思います。
実父の下では、高校進学もままならなかったからです。
養父は職人で、やはりお寺とは全く関係ありません。
私が僧侶となったのは、成人して以降のご縁と私の意思によるものです。
養父は、尊敬できる人柄で、良くして頂きました。
私と弟を実の子と思って育てると誓い、自分の子供を持つ事を拒んでいたそうです。
私もこの養父をただ一人の父親だと思っております。
しかしながら、血縁というものは完全には切れないもので、2023年の秋に、実父が昨年に亡くなって相続が発生したとの連絡が来ました。
社会に出る前に両親の離婚や再婚があり、苗字が変わったりしましたが、養父は尊敬できる人でしたので、この縁は良かったと思っています。
みなさんもあるかと思いますが、私の人生には悪縁が切れて、良縁に変わっていったと思える出来事が多々あったように思います。
20代の私は、株式会社シャープという大手家電メーカーを辞めて、投資不動産の販売会社に勤めます。
高給に惹かれた為です。
大企業と縁を切り、正直当時は失敗したと思いましたが、そのまま勤めていたとして、現在のシャープを見ていると、遅かれ早かれ辞めていたなぁと思いました。
ただ、選んだ先の投資不動産会社は、明らかに失敗だったと思います。
今の世の中で見ればブラック企業そのもので大変苦労をしましたが、一番つらかったのは
節税になるからと良かれと思って勧めていた投資マンションが、仕事を覚えて勉強しているうちに、会社の説明ほど節税効果はないと知り、詐欺まがいじゃないのかと思い至った時です。
幸いといいますか、私はまだ契約が取れていないうちに、この会社を辞めて縁を切る事にしたのです。
その後、この会社は巨額の脱税を摘発されて倒産しました。
因果応報という事でしょうか。
同じく20代の頃、5年ほどお付き合いした彼女がおりました。
学生時代にはモテなくて初めての彼女で大切にしようと思っていました。
出会った時は大学院生でしたが、5年付き合って結婚を考えるようになりました。
ただ性格が、とても感情の起伏が激しく、ヒステリックになってしまう事が多いので正直結婚には不安をもっていました。
結婚後仲たがいしてしまうかも知れないと思いつつ、彼女の自分への愛情を信じて結婚するつもりでしたが、私の仕事の都合で遠距離恋愛になると、身近に好きな人ができたと
知らされました。
そこで私達はお別れするに至ったのです。
この時は恥ずかしながら大泣きしました。今思い出してもうるうるします。
ただ、彼女との結婚生活は難しかったかも知れないと思うと、少しほっとしたかも知れません。
これで彼女との縁は切れてしまい、結果、今の私には妻がいて、2人の子宝に恵まれています。
縁切りをして、良縁に恵まれた形になっています。
しかし、ずっと引っかかっている事があります。
私のストーリーではこれで、めでたしめでたしなのですが、彼女はどうだったのか。
新しい男性のもとで、幸せになれたのだろうか。
今、この文章を書いていて、当時のことを思い出していると、そんな事を思ってしまいます。
なぜなら、当時の彼女の様子や言動を思い出すと、今で言う“メンヘラ”だったのではないかと思うのです。
もしそうなら、新しい彼のもとでもトラブルになってしまったのではないかと、今更ながら考えてしまい、もっと寄り添ってあげる事ができたのではないかという後悔のような感情があるのです。
私は彼女を救わなかったという後悔です。
ですがそれも私の傲慢で、とっくに縁は切れているのです。
ただ、私は今それを知って、“メンヘラ”で生きづらさを感じている方を助けたいと思う様になりました。
そしてお寺は、古来より本来そうした生きづらさを持った人を助ける場所なのです。
30代前半の頃、不動産仲介の会社にお世話になっていた事があり、この時の上司が今で言うところのパワハラ上司でした。
怒鳴り散らされるのはもちろん、髪の毛をつかまれて引きずり倒された事もありましたので、今なら(当時でも?)逮捕案件です。
この方だけは何とかならないかと思っていました。ただ、自分に都合悪い人は全員が悪縁だということではありません。自分を成長させるために現れた、超えるべき障害なのかも知れないのです。
その上司はその後どうなったか。
ある日の仕事終わりの夜に自分を含む営業社員全員が集められたのですが、そこに上司の姿がありませんでした。
そこで社長から告げられたのは、上司が会社のお金に手を付けて、違法賭博をやっているので、その店に行って保護してこいとの命令でした。
正直驚きましたが、店に踏み込んだ時に見たのは、バカラ賭博の台の前で汗をびっしょりかいて、憔悴しきった上司の姿でした。
翌日、上司は警察には引き渡さなかったものの、懲戒解雇されました。
こうして私は上司との縁は切れたので、やはり悪縁だったようです。
30代後半の頃、知人と共同で会社を立ち上げました。
ところが間もなくリーマンショックが起こり、会社が傾き、私は会社を去ることになりました。
この時私は、生きる目的を見失っていたのですが、縁あって真言宗の僧侶として修行をする事になりました。
そして冷静になって去った会社の事を考えると、友人と共同で始めて私も資金の調達もしましたが、その資金は仕入に使ったので、会社の株式の持ち分は私には無かったので、上手く続けていてもなんら会社の権利を得られなかったことや、資金繰りが悪く、リーマンショックがなくても破綻した可能性がある事などから、強制的に縁を切られた形でしたが、むしろ良かったのかも知れないと思えるようになりました。
それから20年以上たちまして、他にも色々ありました(いつかお話しする機会があれば)が、私は僧侶である一方で、一般社会で働きながら、社会経験を積んでいます。
今はおかげさまで、まわりにいる人たちや家族に恵まれていると心から思います。
真言密教は奥が深く、本当に願いが叶うので驚かされます。
私に起こった縁切りは時に強引だったりしましたが、おかげさまで現在があると思います。
これから私は、あなたの悪縁を絶ち、良縁を結ぶお手伝いをいたします。
必ず願いが叶う方法をお伝えします。
私たちに良いご縁がありますように。
代表挨拶